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岐阜地方裁判所 昭和40年(ワ)84号 判決

主文

原告が被告銀行の従業員たる地位を有することを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告

第一申立

主文と同旨の判決を求める。

第二主張

一  請求原因

(一)  被告は相互銀行法に基き銀行業務を行う会社であるが、原告は昭和二七年七月二六日被告との間に雇傭契約を締結してその従業員たる地位を取得したものである。

(二)  ところが、被告は原告がその従業員たる地位を有することを否認しているので、原告はこれが地位を有することの確認を求める。

二  答弁

争う。

(一)  認める。

(二)  認める

(三)  原告が被告に対し、妻Aが柴山木材工業所に勤務して給与を得ている旨答えたこと、および被告に対し昭和三七・三八両年度源泉所得税の不足分として金一万八、九〇〇円を納入したことは認める。

右金額は被告から徴収されたのではなくして、原告が率先納入したものである。

(四)  被告が柴山木材工業所に対してその主張の照会をしたことは知らない。

原告の妻Aは柴山木材工業所の経営者Bの妻と姉妹の関係にありかつ同一敷地内に居住しているところからその仕事を手伝つているという程度の勤務でしかなかつたのであつて、原告は意識的にこれを秘して家族手当の不正受給をはかつたものではない。

(五)  昭和三九年二月四日被告の申入れによつて人事委員会が開催されたこと、および当時原告が前記組合の組合員であつたこと、ならびに労働協約・就業規程に被告主張の各規定があることは認めるが、同月三日被告が組合に対し原告解雇の件につき同月四日人事委員会を開催する旨通知したことは否認し、その余の事実は知らない。

原告解雇の件は二月四日の人事委員会の冒頭突如として被告銀行側委員からもちだされたものである。

(六)  被告主張の日時に人事委員会が開かれたこと、原告が二月五日午后五時過ぎ頃被告に対し自ら作成した退職届を提出したところ被告がこれを即時受理したこと、ならびに原告が被告に対して金九、二〇〇円を返還したことは認めるが、その余の事実は否認する。

組合側委員は被告提出の懲戒解雇案に対しその不当であることを極力主張したところ、被告銀行側委員は同日中に退職届を提出すればよし、さもなければ懲戒解雇を強行するとして被告主張の(イ)、(ロ)の条件を提示するにいたつたものであり、なお原告が被告に金九、二〇〇円を返還したのは二月七、八日頃のことである。

三  再抗弁-強迫および不当労働行為

仮りに、原告提出の前記退職届を被告が受理したことにより原・被告間の雇傭契約解約の合意が成立したとしても

(一)  右の合意は被告の強迫によつてなされた原告の意思表示に基いて成立したものである。すなわち

(1) 原告は前述のとおり妻Aをその扶養家族として扶養控除申告書および扶養家族手当受給承認申告書を提出していたところから、昭和三八年一二月二八日被告銀行人事部の事務担当者に対し妻Aに給与所得がある旨を告げて善処方を問合せたところ、扶養家族手当受給承認申告書を撤回し、脱税相当額を被告に納入して納付すればよいということであつたので、原告は直ちに右申告を撤回して前述のとおり昭和三七・三八両年度源泉所得税の不足分として金一万八、九〇〇円を被告に納入したところ、被告はこれを了として右金額を受領し、右申告の撤回もこれを了承してここに問題は解決済みとなつたのである。

(2) ところが、被告は何ら緊急を要する案件もないのに、昭和三九年二月四日前記組合に対し突然口頭をもつて人事委員会の開催方を申入れ、その冒頭において、前述のとおり、原告を懲戒解雇に付する旨の議案を提出したものであるが、被告銀行側人事委員の提示したその理由は、原告の妻には昭和三八年度において金三〇万七、四四〇円の収入があつたのに原告はこれを秘して所得税を脱税していたため名古屋中村税務署から被告に対して追徴命令書が発せられ、その結果原告が金九、二〇〇円の扶養家族手当をも不正に受給していたことが判明したが、右は給与規程細則第一条2ホ但書に違反し就業規程第五六条の四第一〇号に該当するというにあつたところ、右はいずれも事実に相違して、しかも所得税・家族手当の件ともに前主張のとおり被告も了承して既に解決済みなのであるから、原告には右の規定に該当する事由は何ら存しないのにかかわらず、被告銀行側人事委員は右のような虚構の事実をかまえて組合側人事委員に対し、「原告が二月五日午后五時までに退職届を提出しなければ被告の責任において懲戒解雇を強行し、生涯どこへも就職ができないように烙印を押してやる。組合執行委員会の諮つたり上部団体その他の第三者に相談したりしても同様である。」と威嚇して終始強圧的に二者択一を迫るので、組合側委員はこの無謀な申出に憤りながらも、事は労働者である原告にとつて死活の問題であるところから、短期間協議の結果被告の右申出を原告に伝達することになり、二月五日午后一時二〇分頃原告に対し右人事委員会の状況を説明して被告の右申出を伝え、いずれにしてもその職を失うことを覚悟のうえ、退職届を提出するか懲戒解雇をまつか数時間以内に選択せよと決断を迫るにいたつたものであつて、ここにおいて原告は被告における懲戒解雇の意思が極めて強固であることを知り、これをさけるためやむなく前記退職届を提出せざるをえなかつたものであつて、右退職届提出による原告の雇傭契約解約方の意思表示は被告が組合側人事委員を通じて原告を強迫した結果なされたものである。

なお、原告は被告主張のとおり共済会脱会餞別金を受領し、健康保険証を返還し、失業保険離職表の交付を受けて失業保険金を受給し、通勤用定期乗車券を返還したことは認めるが、餞別金は事務担当者が処置に困るからと再三催促するので受領したまでのことであり、失業保険金は目下係争中であることを申告して受給したもので、本訴解決后に清算することになつており、定期乗車券は不正使用の疑をかけられるのも不本意であるところから返還したものであつて、これらの事実をもつて退職届の提出が原告の任意に出たものであるということはできない。

(3) よつて、原告は昭和三九年二月一五日付内容証明郵便をもつて被告に対し右退職届の提出による意思表示を取消す旨の意思表示をなし、該郵便は同日被告に到達したから、被告主張の雇傭契約解約の合意は同日をもつて取消された。

(二)  また、右の合意は原告の正当な労働組合活動を嫌悪する被告が原告を強迫して退職届を提出せしめて退職申込みの意思表示をなさしめ、被告においてこれを受理承諾して成立したものであつて、右は被告が合意の形式を利用してその不当労働行為意思を実現したものである。すなわち

(1) 原告は被告銀行の従業員約八八〇名をもつて組織する前記岐阜相互銀行従業員組合の組合員であつて、その組合役員歴は別紙(四)記載のとおりである。

(2) しかして、原告は積極的な組合活動により右のとおり永年の間組合幹部の地位を持続して組合員多数の信望を集めていたものであるところ、被告は従前から組合活動を行う者を極端に嫌悪して、前代表取締役Cの如きは「組合活動の過激な者は違反を探して首を切れ。」と放言してはばからないありさまで、事あるごとに組合活動に支配介入し、組合員の思想・信条による差別待遇をこととして組合に対する攻撃を加えてきた。

(3) そして昭和三九年度春期闘争を目前にした同年二月四日、被告はかねて嫌悪してやまない組合活動に熱心な原告を排除すべく、原告に対する不当労働行為意思を隠蔽するため、組合員ではあるがほとんど組合活動に参加したことがない訴外Dにも原告同様の不祥事ありとしてこれを巻き添えにし、再抗弁(一)に前述したとおり、些少の不正事を口実として原告を強迫し、ついに原告をして退職届を提出するのやむなきにいたらしめたものであつて、これが合意の形式を利用して原告に対する不当労働行為意思を実現したものに外ならないことは、二月四日の人事委員会の席上被告銀行側人事委員が「Dはかわいそうだが巻き添えだ。」と公言したこと、原告および右Dの外に当時岡崎支店長であつたE外数名の従業員についても扶養家族手当を不正に受給していた事実があるのにこれらについては何ら問責されていないこと、原告から退職届を徴して組合に対する優位を獲得した被告は翌六日直ちに組合活動の中心である青年婦人部支部長級の組合員四三名に対する配置転換を断行したことなどからも明らかである。

(4) 以上のとおり原・被告間の、雇傭契約解約の合意は不当労働行為であるから無効である。

第三証拠関係(省略)

被告

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。」

との判決を求める。

一  答弁

(一)  認める。

二  抗弁―合意解約

原・被告間の雇傭契約は昭和三九年二月五日合意によつて解約され、これによつて原告は被告の従業員たる地位を喪失した。

右合意解約にいたる経緯は次のとおりである。

(一)  被告は所得税法上その従業員の所得につき源泉徴収義務を負うものであつて、右源泉所得税徴収にあたつては、従業員に所定の扶養家族がある場合には当該従業員から扶養控除申告書を徴して所轄税務署長にこれを提出するとともに、その申告書に基いて所定の扶養控除をなしたうえ、課税所得額を定めて所定の税額を徴収・納付しているものであるが、原告は昭和三七・三八両年度の所得につきそれぞれ妻A・長男F・長女Gら三名を扶養家族として扶養控除申告書を提出したので、被告は右申告書に基き所定の扶養控除をなしたうえ原告から所得税を源泉徴収してこれを所轄の岐阜北税務署長に納付した。

(二)  ところで、被告はその従業員に対する給与・手当等の支給につき給与規程細則を定め、家族手当についてはその第一章第一条2ホに別紙(一)記載のとおり規定して、従業員から提出された扶養家族手当受給承認申告書に基き右規定による扶養家族手当を支給しているものであるが、原告は昭和三七・三八両年度につき各年一月一日付をもつてそれぞれ第一扶養家族妻A・第二扶養家族長男F・第三扶養家族長女Gとしてその受給承認申告書を提出したので、被告はこの申請書に基いて原告に対し右規定による扶養家族手当を支給した。

(三)  ところが、昭和三八年一二月二五日頃名古屋西税務署長から同月一〇日付書面をもつて被告に対し、原告の昭和三七年度源泉所得税の徴収についてはその妻Aの扶養控除を否認するにつき同年度分について再調整のうえ所轄税務署に納付し同三八年度については誤りのないよう留意されたい旨の通知があつたので、被告は原告に事情をただしたところ、原告の告白により、原告の妻Aは昭和三七年一月以来名古屋市<以下略>の柴山木材工業所に継続勤務して給与の支給を受けかつ昭和三七・三八両年度とも同所において源泉所得税の徴収を受けていることが判明したので、被告としては事柄が対外的信用にかかわる問題であるところから、とりあえず同三九年一月八日原告の右両年度における源泉所得税につき妻Aを扶養控除対象者から除いて再調整した不足額一万八、九〇〇円を原告から徴収して所轄の岐阜北税務署長にこれを納付したのであるが、果して原告の妻Aに右のとおり給与所得がありかつ源泉所得税の徴収を受けているとするならば、原告は前記給与規程細則の規定上同女につき扶養家族手当の支給を受けるいわれはなく、昭和三七・三八両年度の間に給与支給時において計金四万八、〇〇〇円・賞与支給時において計金一万九、一〇〇円合計金六万七、一〇〇円の手当を不正受領したことになる。

(四)  そこで、被告は事実を確認すべく昭和三九年一月一四日前記柴山木材工業所に照会したところ、同月二八日同工業所ことBから回答があり、その結果原告の妻Aは同三七年一月一日から引続き同工業所に勤務して、昭和三七年度においては金一四万六、七三一円の、同三八年度においては金一九万一、七八五円の各給与所得があり、同所において前者については金四四〇円の、後者については金二、二八〇円の各源泉所得税を納入したことが判明した。

(五)  ところで、被告はその従業員をもつて組織されている岐阜相互銀行従業員組合との間に労働協約を締結しているところ、その第五章人事委員会の項には別紙(二)記載のとおり規定されており、また被告は従業員の服務・賞罰等に関し就業規程を定めてその第五六条の四には従業員に対する懲戒解雇事由として別紙(三)のとおり規定しているのであるが、被告は前項掲記の事実が判明した后、原告の前記源泉所得税の不正免脱および家族手当の不正受給につきその取扱いを役員会に諮つて検討した結果、原告の右行為は右就業規程第五六条の四第二号ないしは第一〇号所定の解雇事由に該当しかつ対外的にも被告の信用を失墜させるものにつきこれを懲戒解雇すべしとの結論に達したものであるところ、当時原告は前記組合員であつたので、被告は右労働協約の規定により昭和三九年二月三日組合に対し、同月四日原告解雇の件につき人事委員会を開催する旨申入れて、人事委員会は同日午前一〇時から開催された。

(六)  しかして、同日の人事委員会は午后一〇時頃まで開かれ、翌五日も続行されたが、被告銀行側委員の前記理由による原告解雇案に対し組合側委員もついにその合理性を反駁しえないところとなり、ここにおいて組合側委員から解雇案に代る依願退職案が提出されるにいたつたので、被告銀行側委員は

原告において

(イ) 同日午后五時までに退職届を提出すること

(ロ) 前記不正受給にかかる家族手当金のうち便宜原告の妻Aを第三扶養家族として原告の利益に修正した金九、二〇〇円を被告に返還すること

を条件として右依願退職案に同意したところ、原告は同日午后五時過ぎ頃自ら同日付退職届を作成して被告にこれを提出し、かつ右金九、二〇〇円を返還したので、被告は即時右退職届を受理して、ここに原告との間の雇傭契約は合意により解約されるにいたつた。

三  答弁

(一)  争う。

(1) 原告が扶養家族手当受給承認申告書を撤回して脱税相当額の金一万八、九〇〇円を被告に納入したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は右金額納入の際事務担当者に対し受給承認申告書は撤回するにつき上司には内密にされたいなどと申入れたとのことである。

(2) 被告が、人事委員会において、原告には就業規程第五六条の四第一〇号に該当する事由があるのでこれを懲戒解雇に付する旨表明したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告が退職届を提出するにいたるまでの経緯は抗弁として前述したとおりであり、なお被告は右委員会において原告の右不正行為は就業規程第五六条の四第二号にも該当する旨指示した。

しかして、原告は自発的に右退職届を提出したものであつて、このことは原告がその后の同年二月一二日被告の従業員たる者はすべのその加入を強制される被告銀行共済会から同会脱退餞別金七、〇〇〇円を受領し、同月一三日被告に対し健康保険証を返還し、失業保険離職表の交付を受けて爾来所定の失業保険金の給付を受け、同月一四日被告に対し通勤用定期乗車券を返還したほか、前述のとおり不正に受給した扶養家族手当金九、二〇〇円を返還したことなどから明らかである。

(3) 原告主張の日その主張の意思表示が被告に到達したことは認める。

(二)  争う。

(1) 原告が昭和三九年二月五日まで同組合の組合員であつたこと、および同三八年五月から同三九年二月五日まで同組合の執行委員であつたことは認めるが、その余の役員歴は知らない。その余の事実は認める。

(2) 原告の組合活動のことは知らない。その余の事実は否認する。

(3) E岡崎支店長にも原告同様扶養家族手当を不正に受給していた事実があること、同年二月相当数の異動があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

Dについても右と同様の不祥事があつたので原告とともに人事委員会に付議したところ、原告についてと同様組合側委員から依願退職案が提出されたので被告においてこれを了承し、同人も二月五日退職届を提出して円満退職した。

E支店長については同年一月六日被告に対し推退伺が出されていたのであるが、事務引継の完了をまつて同年三月二六日依願退職している。

被告銀行においては毎年二月および八月に定期異動が行われており、同年二月の異動も定期のそれとして行われたものであつて、組合活動家のみを異動させたものではない。

(4) 争う。

原告には被告がその抗弁において前述したとおり就業規程第五六号の四第二号ないしは第一〇号に該当する事由があり、殊に問題が金銭に関する事柄であるだけに被告銀行の対外的信用を失墜させること甚しいものがあるところから、被告は人事委員会において原告を懲戒解雇に付すべき旨を主張したのであつて、被告のこの主張は当然かつ正当であつて、この間に不当労働行為的意思ないし作為はいささかも存しない。

理由

一  請求原因(一)の事実は当事者間に争がない。

二  そこで被告の抗弁について判断するのに、成立に争のない乙第五号証と原告本人尋問の結果の一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は昭和三九年二月五日被告に対し同日付退職届を提出し(この事実は当事者間に争がない)て雇傭契約の解約方を申入れたところ、被告は即日これを承諾して原・被告間に雇傭契約解約の合意が成立したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

三  これに対して原告は、右解約の合意は被告が合意の形式を利用して原告に対する不当労働行為意思を実現したものであり、不当労働行為として無効であると主張するので、まずこの点について判断する。

(一)  抗弁(一)、(二)の事実はいずれも当事者間に争がなく、しかして、原告の妻Aが昭和三七年一月一日から引続き名古屋市<以下略>柴山木材工業所に勤務して昭和三七年度においては金一四万六、七三一円の、同三八年度においては金一九万一、七八五円の各給与所得があり、同所において前者については金四四〇円の、後者については金二、二八〇円の各源泉所得税を納入したことは原告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなされるべく、いずれも成立に争のない乙第一号証・同第四号証の一ないし三と証人Hの証言の一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は右の事実を、昭和三八年一二月二五日頃名古屋西税務署長から同月一〇日付書面をもつて、原告の昭和三七年度源泉所得税の徴収については妻Aの扶養控除を否認するにつき同年度につき再調整のうえ所轄税務署に納付し同三八年度については誤りのないよう留意されたい旨の通知を受けたところから、同三九年一月一四日頃前記柴山木材工業所ことBに照会し、同月二八日頃同人の回答を得て確知するにいたつたものであることが認められ、この認定に反する証拠はない。

右事実からすれば、原告は昭和三七・三八両年度において妻Aにつき扶養控除および扶養家族手当の支給を受けうべきではないのに、これを被扶養者として扶養控除を申告してこれに相当する源泉所得税の徴収を免れかつ扶養家族手当の支給をうけていたものというべきである。

(二)  しかして、被告がその従業員の服務・賞罰等に関して定めた就業規程第五六条の四に従業員に対する懲戒解雇事由として別紙(三)記載の規定を設けていることは当事者間に争がないが、原告本人尋問の結果によれば、原告の妻Aは前記柴山木材工業所ことBの妻の実妹にあたりかつ同人らとは同一敷地内に居住していたところから請われるままにその仕事を手伝つているうちに継続勤務するようになつたものであつて、当初は定収入を得るような勤務状況ではなかつたこと、および被告銀行従業員間において前記給与規定細則第一条2ホ但書の規定が必ずしも厳格に適用されてはいない実情にあつたこと等から、原告はその妻Aが同所において定収入を得るにいたつたのちにおいても従前のとおりこれを被扶養者として扶養講除申告書および扶養家族手当受給承認申告書を提出していたものであること、そして前記名古屋西税務署長から前記の通知があつた旨連絡を受けた原告は率直にその事実を被告銀行事務担当者に告白したうえ進んで源泉所得税の不足額を納入し(納入の事実は当事者間に争がない)、かつ昭和三七・三八両年度における扶養家族手当受給承認申告書を撤回して不正受給額を直ちに返還すべきことを申出でたこと(その際原告が右事務担当者に対し上司には内密にしてもらいたい旨申入れたとの証人Hの証言部分は原告本人尋問の結果に対比して措信できない)が認められるところ、原告の右各不正申告とこれによる源泉所得税の免脱、扶養家族手当の受給は、いずれも懲戒解雇事由を定めた右就業規程第五六条の四、第二号の「刑法犯に該当する行為」又は同条第一〇号の「これに準ずる不都合な行為」に当るものと解する余地はあるけれども、右第五六条の四には但し書として情状により減給、出勤停止、又は降職に止めることができる旨を定めているのであつて、被告銀行の職員に刑法犯に該当する行為又はこれに準ずべき行為があれば、直ちに懲戒解雇事由のみにあたると解すべき文理上の根拠は全く存しない。のみらなず、刑法犯に該当する行為又はこれに準ずべき行為といつても、その行為の軽重および情状において著るしく悪質なものから極めて軽微なものまで広範囲にわたることが当然予想されるのであるから右但し書の趣旨はそれが比較的軽微なものはこれを減給等の事由とするに止めたものと解されるのである。そうとすれば叙上認定の経緯と事案の実質的な内容は軽微であつて、被告銀行の業務および信用を直接に害するものでないこと等の情状からみて、原告の叙上行為はいまだ懲戒解雇事由にはあたらないものとするのが相当である。されば被告銀行が原告の右行為をもつて懲戒解雇事由にあたるものとしたのは明らかにその認定を誤つたものといわなければならない。

(三)  ところで、原告が被告銀行の従業員をもつて組織する岐阜相互銀行従業員組合の組合員であつたことは当事者間に争がなく、証人I・同Jの各証言および原告本人尋問の結果の各一部によれば、原告の同組合における役員歴は別紙(四)記載のとおりであつて、その間原告は同組合においてはもちろんのこと、金おりでによる組織攻撃から金融労働者の団結と権利を擁護すること融資本として結成された岐阜地区金融共闘会議の事務局長としてまを目的地区金融共闘会議の幹事として、金融労働者の団結と労働条件の改善のために真摯かつ熱心に組合活動を続けてきたものであつて、同組合においては昭和三九年一月頃執行委員長I・副執行委員長K・同L・書記長Jら三役指導の下に、被告銀行の介入によつて組織分裂の危険をはらみながらもこれを克服して春期賃上げ闘争にとりくむべく中央委員会等を開いてその準備に着手しつつあつたことが認められるところ、これに対して昭和三九年四月死亡によつて退職した被告銀行の前代表取締役Cは昭和三八年四月の賃上げ交渉妥結に際し各従業員宛に「中小企業金融機関間における競争が激化しつつある折柄これに打ちかつためには労使協調してコストダウンをはかる必要があり、争議権は労働者に認められた基本的権利ではあるが銀行におけるストライキは自殺行為に等しく、力で賃金をかちとろうとすることから起る労使激突・対立抗争の時代は既に過去の姿であつて、今日においては労使共通の立場で生産性の向上と企業の永続的発展のために協調する調和の時代に入つている」との告示を出し、本来労働者の団結をもとによりよい労働条件の獲得を目的とすべき労働組合の存在そのもの、ないしはその活動を容認しえないものとするかのような基本的態度を表明し、同年秋の賃上げ紛争に際しては、同人が折にふれその所感を記して全従業員に配布閲読させていた「銀杏」と題するパンフレットにおいて「会社に雇われながらその不利益になることに骨を折る者はチフス菌や赤痢菌に似て会社にとつてはまさに獅子身中の虫であるから小なりといえどもこれを放置することなく全力をあげて治療すべく、先進金融機関においては既に組合運動の弊を脱して信用を基とする金融機関に職を有する従業員の健全な組合に移行してしまつているのであるから、当行もよろしくその轍を踏まなければならない」として、金融機関において労働組合運動に従事する者を伝染病菌になぞらえ、これを速やかに排除すべき旨公言し、あるいは職制に対しては「組合活動の過激な者は違反を探して首を切れ。」と督励するなど、ことごとに労働組合そのものないしはその運動に従事する者の存在を否定し嫌悪していたこと、および被告の労働組合対策がすべてこの基本線に沿つておし進められていたことは、前記各証拠といずれも成立に争のない甲第一、二号証とに弁論の全趣旨を綜合して明らかなところである。

(四)  そこで、原告が前説示の退職届を提出するにいたつた事情について審按するのに、被告が前記岐阜相互銀行従業員組合との間に締結した労働協約の第五章に別紙(二)記載のとおり規定されていること、および被告の申入れにより昭和三九年二月四、五両日にわたつて人事委員会が開催されたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五号証および乙第五号証と証人I・同Jの各証言および原告本人尋問の結果の各一部とに弁論の全趣旨を綜合すれば、

(1)  被告は昭和三九年二月三日組合に対し右労働協約第六九条の規定と従来の慣行に反してその議題を事前に連絡することなく翌四日右協約に基く人事委員会を開催する旨申入れて、翌四日午前一〇時頃から、被告銀行側は当時の専務取締役M・常務取締役N・取締役O・人事部長P、組合側は執行委員長I・副執行委員長K・同L(書記長Jは病気欠勤中につき欠席)らが出席して人事委員会が開催されるにいたつたこと

(2)  席上冒頭に被告銀行側人事委員から、原告および組合員Dは被扶養家族の資格がない者を被扶養家族として源泉所得の扶養控除を申告して脱税し、かつ扶養家族手当を不正に受給していたことが判明したが、右は前記就業規程第五六条の四第二号ないし第一〇号に該当するので右両名を懲戒解雇するにつき了承されたい旨提案し、その根拠として原告については前記(一)に認定したその妻Aに給与所得がある事実を提示したこと

(3)  しかし組合側委員としては右の事実は初めて耳にすることで真偽の程もはかりがたく、事が現に組合執行委員として組合活動の中核を占めている原告の身分に関する問題であるだけにJ書記長の欠席しているこの席上で回答することはできないので、原告本人に事情をただしたうえ、執行委員会にはかり、さらに上部団体である全国相互銀行従業員組合連合会(全相銀連)に連絡してその指示を仰ぎたいとして会議の延期方を申入れたところ、被告銀行側人事委員は、原告はたとえ被告銀行から放てきしてもいずれ他の企業に就職するときはまたもや指導的地位に立つて労働運動を続けるであろうから、さようなことができないように烙印を押す必要があるので、組合の意向にかかわりなく原告を懲戒解雇する方針に変わりはない旨強硬な態度を示し、Dはその名のとおりマキ添えであると放言して耳をかさないので、組合側人事委員は労働協約上組合三役および執行委員の異動を行う場合は予め組合の同意を得て行うこととされており、かつ従前から他の一般組合員についても事実上右と同様の取扱いがなされていたところからこれを不当として抗議を申入れたが被告銀行側委員はさらにこれを聞き入れる気配を示さないばかりか、もし組合において原告本人から事情を聴取し、執行委員会にはかり、あるいは全相銀連に連絡してその指示を仰ぐというようなことがあれば即座に懲戒解雇を発令すると強迫的言辞を弄して回答をせまるにいたり、ここにおいて被告銀行側委員の強腰に気押された組合側人事委員はどのように抵抗したところで被告の原告を懲戒解雇に付する意思を変更させることは不可能であろうと判断し、さりとて組合の現状から原告に対する懲戒解雇を受けて立つ自信もなかつたところから、いずれ原告の退職は不可避の情勢にあるならば、原告の将来のために懲戒解雇ではなくして依願退職という形で円満解決をはかるべく原告を説得するにつき結論は翌日にもちこしてもらいたい旨申入れたところ、被告銀行側委員は翌五日午前一〇時までに回答が得られるならばとこの申出を了承したこと

(4)  この間組合側人事委員は病臥中のJ書記長に対し二回にわたつて電話で情勢は組合側にとつてきわめて不利である旨伝えてその意見を徴したところ、同人はともかく明朝出勤するにつき執行委員会を招集しておくようにとの意向を述べてきたが、組合側人事委員としては被告銀行側人事委員から前記の言辞をもつて強迫されていたところから、執行委員会を招集することなく、さりとて原告本人に面談して対策を講ずるでもなく、まして全相銀連に連絡してその指示を仰ぐこともなく漫然翌五日を迎えたのであるが、同日朝から続開された人事委員会においてJ書記長を含めた組合側人事委員は再度原告およびDに対する懲戒解雇は理由がなく不当である旨抗議をくりかえしたがもとより被告銀行側人事委員の受入れるところではなく、そこで組合側委員四名は協議の結果原告については退職届の提出に応ずるもやむなしとの結論に達してその旨被告銀行側人事委員に申入れたところ、被告銀行側人事委員は組合側人事委員において原告を説得して同日午后五時までに退職届を提出させるならば依願退職の取扱いをしてもよいがさもなければ直ちに懲戒解雇を発命するとして依然強硬な態度を示したので、組合側人事委員は懲戒解雇をさけるためにはそれもやむなしとして原告に対する説得方を請合つて人事委員会は打切られたこと

(5)  そして組合側人事委員四名は同日午后一時三〇分頃原告を被告銀行社屋裏の中華料理店に誘つて昼食を共にしながら原告に対し、前日開催された人事委員会において突然被告銀行側人事委員から原告およびDに対する懲戒解雇の件が提案されたことを伝え、被告銀行側の態度は甚だ強圧的にして現段階においては懲戒解雇を受けて立つかあるいはこれをさけて同日午后五時までに退職届を提出するかの二者択一を迫られている情勢にあるとしてその経過を逐一報告したうえ、そのいずれを選択するかはもとより原告の自由意思によるとしながらも、もし同時刻までに退職届を提出しないときは人事委員会における被告銀行側人事委員の強硬な言動から推して即時懲戒解雇の発令をみるのは明らかであるがこの場合組合としてこれを受けて立つて争うときは組織の分裂を招くことは必至であろうからその間の情勢をも考慮して判断されたいと述べて、暗に被告銀行側の意を受けて退職届の提出に応ずるよう促したこと

(6)  これに対して原告は、被告銀行側人事委員が懲戒解雇の理由としてあげた原告の所為は就業規程所定の懲戒解雇事由に該当するものではないとし、右は鋭意労働組合運動に努力を傾けてきた原告をその故に排除しようとの意図に出たものであるから、組合としては断固これを拒否して全相銀連あるいは地区共闘会議の支援のもとに闘うべきであるのに、この間原告本人に対してすら何らの連絡をもしなかつたばかりか、剰え被告銀行側の意思を代弁して原告に対し退職届の提出を促すかのような組合側人事委員に対してそれでも労働組合の三役かと激しく非難し反論したものの、組合側人事委員である三役らはともかく指定の時刻も迫つていることであり懲戒解雇だけはどうしてもさけなければならないとしてその態度を改めないので、思案に余つた原告は同日午后四時三〇分頃その場から岐阜相互銀行従業員組合出身の全相銀連執行委員長Qに架電し、事情を報告して指示を仰いだところ、急のこととてさしあたつての適切な指示を得ることはできず、さらに上司のR管理部長にも相談したが徒労に終わり、かくするうち指定の午后五時も過ぎたので、万策尽きた原告は懲戒解雇だけは回避しなければならないと判断して退職届の提出を決意し、組合書記局において有り合せの用紙に今般家庭の事情により退職致したく届出でる旨記載した退職届を作成し、同日午后五時三〇分頃右R管理部長をつうじて被告にこれを提出するにいたつたものであることがそれぞれ認められるのであつて、右認定をくつがえすにたりる証拠はない。

(五)  右認定の事実に前記(三)認定の事情を併せ考えれば、被告は熱心な労働組合運動家である原告をかねてから嫌悪して自己の企業から排除すべく、人事委員会において、被告制定の前記就業規程所定の懲戒事由のうち懲戒解雇事由には該当しないものと認められる前記(一)認定の原告の所為を奇貨として原告を懲戒解雇すべき旨を強硬に申出で、なすところなく困惑しきつた組合側人事委員をして原告に対する退職届提出方の説得を請合うのやむなきにいたらしめ、右組合側人事委員をつうじて原告に対しその意思を伝達して懲戒解雇か依願退職かの二者択一を迫り、ついに進退きわまつた原告をしてその意思を容認せしめ、もつて退職届を提出するのやむなきにいたらしめたものであることは明らかであるから、被告がこの退職届を受理することによつて成立した原・被告間の雇傭契約解約の合意は、使用者である被告において不当労働行為を唯一の目的とし、合意の形式を利用してその不当労働行為意思を実現したものというべく、かかる合意は労働組合法七条一号に違反する不当労働行為として民法九〇条により無効のものと断ずべきである。そうとすれば、被告の抗弁は原告その余の再抗弁について判断するまでもなく理由がない。

四、以上の次第で、原・被告間には依然として従前の雇傭契約が存続しているものというべきであるから、原告が被告銀行の従業員たる地位を有することの確認を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙 (一)~(三) 省略

別紙 (四)

原告の組合役員歴

昭和三〇年四月 一宮分会長・代議員

同 三一年四月 右同

同 三二年四月 代議員

同 三三年四月 愛知支部書記長・中央委員

同 三四年四月 愛知支部長・執行委員

同 三五年四月 執行委員

同 三六年四月 右同

同 三六年九月 副執行委員長

同 三七年五月 中央委員・岐阜地区金融共闘会議事務局長

同 三八年五月 執行委員・岐阜地区金融共闘会議事務局長・東海地区金融共闘会議幹事

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